上野の思い出、「女子会参加編」
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さて今回は、前回の投稿を書きながら思い出したことを綴らせていただきます。
なぜかとある「女子会」のメンバーになっていて…
折に触れ、当チャットルームをオープンする前までは上野とは縁遠かったと記させていただいておりますが、数少ない上野の思い出を1つ思い出しましたので、それについて書かせていただきたいと思います。
コロナ禍以降は途絶えているのですが、私、翔は男性なのですが、なぜかとある「女子会」に定期的に参加しています。といってもまだ参加実績は3回程度なのですが。
その最後の回が、そういえば上野開催だったなと思い出しました(アトレ内のレストランでしたので、ほぼ駅ナカだったわけですが…)。このあたりが地元であるメンバーが1人いて、その人の便が良いところでやろうということになったのでした。
授業をさぼることもしばしばでしたが、仲の良い女友達もいたのです…。
この「女子会」は、大学時代の学友の集まりです。人数は私を入れて5名。小規模な集まりです。
ちなみに私は某私立文系大学を卒業しているのですが、外国語系の学部だったので、学友には女子が多くいました。とはいっても男女比率的にはほぼ五分五分でしたが。
なお私は、学業にはあまり真面目に取り組んではいませんでした。音楽系のサークルに入り、楽器の練習には日々励み、部室には毎日通っていましたが、授業をさぼることはしばしばで。
なんとか4年で卒業できたものの、4年で卒業できた中では成績は最低だったと思います。正直、4年間でゲット出来た「A」の数は4つだけ。そのうちの2つは体育です。これは出席さえすれば誰もが「A」をもらえる科目でした。取得した単位数も規定のギリギリでした。
かくして授業はさぼり気味ではありましたが、仲の良い女子グループはあり、そのグループの「女子会」に大学を出て30年以上が経過したころ招集を受けた、という次第です。
その女子の学友たちは、なぜか私のサークルの行事に顔を出すようになり…。
ちなみにこの「女子会」のメンバーの誰かと付き合っていた、というような事実はございません。純粋に普通のクラスメイト、という関係でした。
ただ、そのうちの1人が2年生になってから私が所属していた音楽サークルに入部し、その他の面々もなぜか私の音楽サークルの行事にことあるごとに顔を出すようになり、そしてそのうちの1人は音楽サークルの仲間の1人と付き合うことになったり。そんな妙な距離感ではありつつ、なんとなく仲良くしていました。
なお急遽招集がかかった理由はどうやら、1人、ドタキャンがあったからのようでした。つまり、予約の都合上頭数を合わせる必要があり呼ばれた模様です(ちなみにドタキャンした当人は、以後の参加が叶っていません)。
で、特に際立った甘酸っぱい思い出があるわけではないのですが、彼女たちはある意味、私にとって特別な存在であることは確かです。
というのも私は高校時代までの友人には「しょうちゃん」と呼ばれることがほとんどで、社会人になった以降は名字にさん付けで呼ばれることがほとんどです。
しかし彼女たちだけは、私のことを名字に「くん付け」で呼ぶのです。つまり「くん付け」で呼ばれると、あの頃の空気が私の心の中で蘇ります。
というわけで、頭数合わせで招集されたのをきっかけに、以後は私もその「女子会」のレギュラーメンバーとなり、グループラインにも参加していて、コロナ禍時代にはラインで無事を確認しあったり。
そんな貴重な人間関係の維持の1シーンも上野で展開されていたことを、昨日思い出したのでした。
なんか中途半端なエピソードですみません。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
また更新いたします。