上野といえば「アメ横」ブログ
東京・上野のチャットレディ(チャトレ)事務所「フレイムス・レコーズ」です! 当事務所では、チャトレのお仕事をされたい方を大募集しています! ご興味がございましたらお気軽にご連絡ください!
子どもの頃には、大晦日になると「アメ横」の様子が中継されたものでした…。
さて今回は、上野の代名詞の1つ、「アメ横」について綴ってみたいと思います。
何度か触れてきたとおり、私・翔はチャットルームをオープンするまで「上野」という街と縁遠かったので、「アメ横」を訪れたことは1度もありませんでした。東京で暮らすようになってもう40年が経とうとしているのに…。
ちなみに私の中での「アメ横」のイメージはというと…。
もう20年くらいテレビを観ていないので最近はどうなのか分からないのですが、私が子どもの頃は、大晦日になるとテレビのニュースで「アメ横」の様子が中継さておりました。お正月に必要な物資(食料品)を買いに来る人々でごったかえすさまがブラウン管に映し出されたものでした。
なので「アメ横」とは、八百屋や魚屋が密集する商店街、というイメージだったのです。まざまな食材がそれぞれリーズナブルな価格で買える街、そういうイメージだったのです。
私が子どもだった頃の「アメ横」はきっと、戦後の復興の流れの面影を残していたのだと思います…。
ちなみに私は今年58歳になります。つまり生まれたのは昭和41年(1966年)です。今にして思えば、戦争が終わったのが昭和20年だったわけで、そこからまだ21年しか経っていなかったんですね。
子どもの頃には「戦争は遙か昔の出来事」という印象だったのですが、この歳になってみると「戦争が終わってまだ間もなかったんだな」と思えます。で、私が10歳のころの「アメ横」は戦争が終わってまだ30年しか経っていなかったわけで、戦後に「アメ横」が物資購入のメッカ的な地として栄えてその面影をまだまだ残していたのだろうと、最近になった「アメ横」を初めて訪れて気が付きました。
というわけで今の「アメ横」は、私が子どもだった頃とはかなり様子が変わったのではないでしょうか。70年代からはさらに50年ほどが過ぎているわけですからそれもそのはずです。チャトレ事務所をオープンして2か月くらいが経過した頃に初めて「アメ横」を訪れて、そんな風に感じました。
ちなみになぜに「アメ横」に行ってみたのかというと…。
連泊して頑張ってくださっていたチャットレディの方がコンビニ弁当に飽きてきて(というか私自身も飽きてきて)、ちょっと奮発して回転寿司でも食べに行こうということになり、調べてみたら「アメ横」に有名チェーン店があるようだということになり、繰り出したという次第です。
「アメ横」は今でも、上野の中心! 日々多くの人で賑わっています。
「アメ横」に行ってみて、驚きました。すご人出で。土曜日だったので余計に混んでいたのでしょう。外国人の方々も相当に多く。本当に、お祭りの縁日のようでした。
で、商店街というイメージだったわけですが、現在の「アメ横」はむしろ飲食店街という印象でした。確かに八百屋さんとかもありましたが、上野の「昭和通り」のバイク街がすっかりバイク街でなくなってしまっているように、きっと「アメ横」も様変わりしたんだと思います。
ところで「アメ横」の名前の由来として、戦後に甘いものが不足していたころに飴が売られそれが人気を博したから、というものが1つの説としてあるようですが、露店で「いちご飴」が売られていたのを見てなんとなく感慨深く思いました。って今「いちご飴」はブームで上野以外にもさまざまな街で売られているとのことですが、私は初めて見ました。それを「アメ横」で見て、やっぱり「アメ横」では飴を売っているんだなと…。
さて、様相は変わったのかもしれませんが「アメ横」は今でも上野の中心地なんだなと思いました。今後はもっと探索して、美味しいお店とか発見したいと思っています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
また更新いたします!